日本および日本人は時間に正確とか厳しいとか言われることが多いと思います。
 列車の時刻なんかは最たる例で、ちょっと遅れただけで車内アナウンスが入るほど。日本人が時間に正確と言われる最たる例の一つです。
 逆に何度か訪問したイギリスの鉄道では日本のような車内アナウンスはありません。先進国といえども国民性によって変わってくるのでしょうか。
 でも、時間に正確といわれる日本人ですが、なぜか終わりの時間についてはルーズな点が多いのです。始まりの時間に対して終わりの時間の使い方がルーズな我ら日本人にとっては『時間』という枠組でとらえたとき、デメリットでしかありません。
1.本記事の内容とわかっていただけること

  • 始まりの時間は厳守なのに終わりの時間は意外とルーズな国民性
  • 日本人が終わりの時間にルーズな行動を取るのは幼少期の体験が元?
  • 『いったんお開き!』の文化を使って終わりの時間をコントロールしよう!
  • 2.記事の根拠
     執筆:ちゃぬまるです。
     小さい頃からずっと思っていたのですが、日本人って結構終わりの時間にルーズだなと思うことが多々ありました。それは学生時代が終わって社会人になってからもずっとです。学校の授業もそうでしたし、会社に入って会議もそうですし、社外で研修などを受けに行っても同じでした。
     すでに終わりの時間にルーズな考え方を持っている人々の意識を変えることは困難なミッションですが、まずは自分のできるところから変革して、周りに良い影響を与えることができたらなと願っています。また、私は二児の父でもあるので、終わりの時間にルーズではない国民を育てていきたいなとも思っています。

    【1】終わりの時間は本当にルーズなのか?

    スタート

    1.終わりの時間の意味

     みなさん、終わりの時間の意味を考えたことはあるでしょうか?
     なにか会議をしたときや、イベントなどで集まったときなど、始まりがあれば必ず終わりがあります。終わりの無い物事は無いと言っても過言ではないと思います。
     それにも関わらずみなさんの周りで終わりの時間がルーズにされている事例を見たことや体験したことはありませんか?

     会議や学校の授業など、数人が一堂に会して打ち合わせをしたり勉強したりする場合は、それが行なわれる内容を一つのイベントと考えると一堂に会して始めるタイミングと、イベントを終えて解散するタイミングが必要になってきます。
     始めるタイミングが『始まりの時間』で、終わりのタイミングが『終わりの時間』を意味します。なぜ始まりと終わりと区切られるかといいますと、イベントに集まってくる人々は別々のところに居たり、別々のところに住んで生活をしているため、イベントが行われる場所まで移動してくる必要があります。イベントを開催する側からしてみれば、参加する人々が集まってこれるタイミングをあらかじめ見込む必要があります。遠方から来る人がいるとか、参加者のなかにはイベントの前に別のイベントに参加する場合もあるから、午前10時から開始しようといった具合です。
     終わりの時間については、イベントを開始してから2時間以上経過すると参加者の集中力が減るから、開始時刻から2時間後には終わらそうとか、自宅に帰るまでの時間が1時間かかるから、逆算して夕方5時には終わりにしようといった具合に、参加される人々が集中してイベントに取り組んでもらえるタイミングを超えそうなタイミングを終わりの時間と設定したり、そのあとの都合を考えて終わりの時間を設定するわけです。

    2.ルーズだとどうなる?

     終わりの時間をルーズにしてしまうと集中してイベントに取り組めなかったり、そのあとの都合に支障が出たりします。
     場合によっては、イベントの後にどうしても外せない会議の予定を入れている人や、通院のために病院の診察予約を入れている人もいるでしょう。そういう人たちの予定を狂わしてしまうわけです。
     人間は長い時間同じことをやろうとしても集中力が途切れてしまいますから、例えば会議を長い時間やったとしても、ほとんどの人が上の空で聞いたり眠たくなったりしてだらけた雰囲気になってしまいます。
     これは大きな問題です。

    【2】ルーズな実例

    困った赤ちゃん

    1.学生時代のルーズな体験談

     学生時代といっても小学生のときの話です。1年生および2年生のときの担任が正に終わりの時間にルーズでした。
     担任の先生はとても厳しい方で、マナーや鉛筆の持ち方、漢字の書き順など細かくかつ丁寧に教えてくださる方でした。
     最近の小学校の事情は分かりませんが、私が小学生だった当時は2時間目と3時間目の授業の間に20分間の休み時間がありました。20分もあれば校庭で遊んだりできたので、私はクラスの友人たちと鬼ごっこをしたり野球やサッカーをしたりしました。休憩時間が終わって次の授業が始まる時間のチャイムが鳴ると急いで教室まで戻っていたものです。
     しかし、校庭から教室までは結構距離があるため時々チャイムが鳴り終わっても教室に戻れないことがありました。その時はどうなるかといいますと、教室の後ろに立たされるのです。まるで見せしめのようです。アニメのサザエさんの磯野カツオのように廊下に立たされるということは無かったですが、教室の後ろに立たされたのは今でも覚えています。

     子供の時分ながら『やってしまった、恥ずかしい、次は遅れないようにしよう』と思っていました。時間に遅れたらいけないことなんだ、だから罰を受けるんだ、時間厳守は重要なんだと学んだことを覚えています。

     しかしです。ここからが重要です。
     あれだけ授業が始める時間に厳しい先生がですよ?授業の終わりの時間を告げるチャイムが鳴って休憩時間になっても時折授業をぶっ続けで行なうんですよ?しかも悪そびれるわけでもなく、断りを言うのでもなく。私自身もそうでしたが周りの生徒たちもソワソワしていました。だって、授業と授業の合間の休憩時間は大事なんですよ?
     休憩時間という、生徒が休むことができる時間をいとも簡単に奪うんです。授業の開始時間に遅れる生徒を罰することはあっても、休憩時間の開始時間を無視して生徒の休憩時間を奪う先生は罰を受けないんでしょうか?
     今の私ならば即座に物申して、『私たち生徒が授業の開始時間に遅れたことを理由に教室の後ろに立たされるならば、先生も生徒の休憩時間を奪ったことを理由に教室の後ろに立ってください』と言ってやりたいですね。

     ただ当時の私は小学生だったこともあり無垢だったんでしょうね(笑)。休憩時間まで食い込んでまで授業をするのは、しょうがないんだ。勉強するという苦労をすることについては、自分たちが休む時間を捨ててまで受ける必要があるんだ、それが大事なんだと思い込んでいました。周りも特に文句を言っていなかったので、私のように思い込んでいた人は多いでしょうね。

     これは、何も私の学校だけではなくて、ほかの学校でも当てはまることだと思います。現に中学校でも同様に休憩時間に食い込むことがありましたし、高校でも同様でした。
     ですから、苦労する部分は自分が楽をする時間や休憩する時間を捨ててまでやらないといけないという意識は幼少期の頃から培われてきたんだと思いますし、そういう人が多くいて、大人になっているという流れです。

    2.大人になってからのルーズな体験談

     大人になっても相変わらず終わりの時間がルーズな集まりが多かったです。特にルーズだなと感じるのは会社の会議です。
     私が勤務している会社は中小企業のため、上役が参加するレベルの会議へ比較的若手の頃から参加することが多い状況でした。毎月定例の会議があるのですが、2時間の会議設定時間に対して必ずと言っていいほど延長戦に突入しました(笑)。

     13時から15時まである会議で、15時以降も延長している場合であればまだ気持ち的に許せたときもあったのですが、10時~12時までの会議に対して延長している場合や17時の定時までの会議に対して延長している場合は、さすがに腹が立って会議のことが身に入りませんでした。終わりの時間を勝手に延長して集中力を失わせたばかりか、貴重な休憩時間という枠組まで誰の断りも得ずに搾取しているんですよ?

     みんな時間は無限にあるとでも思っているんでしょうかね。『サラリーマンが時間の束縛と搾取から逃れる3つのこと』の記事でも書いているとおり、1日は24時間であるという枠組は人類すべてに平等に与えられています。江戸時代以前は人生50年、2018年現在は人生80年くらい生きる人が多いと思います。
     ということは、人生50年であれば438,000時間、人生80年であれば700,800時間分生きることができるという計算です。その限られた時間から時間が削られていくわけです。

    こちら↓

    サラリーマンが時間の束縛と搾取から逃れる3つのこと

    【3】終わりの時間も大切にするためには!?

    ハッピー

    1.集まった目的や理由を明確にしよう!

     会議やイベントを主催して人を集める場合は、必ず目的や理由を明確にしましょう。そしてゴールである終わりの時間を完遂するためにはどうしたら良いかを考えて、終わりの時間から逆算して何をどのタイミングまでに終わらせる必要があるかを見極めるのが大事です。
     そうすることで、終わりの時間にむけて会議進行がしやすくなると思います。

    2.長引きそうな集まりは先にクギをうて!

     会社の会議はだいたい冒頭の触り部分~会議の骨肉に関わる資料の発表~質疑応答~まとめ~といった流れで進行されると思います。進行内容それぞれに所要時間が見込まれており、司会進行役等以外が発言するタイミングは主に質疑応答のタイミングに充てられます。ちなみに質疑応答の時間も配分として設定されていますが、ここで時間を予定以上に取ってしまうと、会議の進行に支障が起き、最終的には終わりの時間を延長させてしまうことになります。
     質疑応答のときに弁論の立つ人が長々と話し込むというパターンがありますが、そうなると質疑応答の時間配分を大きく超えてしまうばかりか、会議の終わり時間を延長せざるを得なくなってしまいます。

     そうならないためには、会議の冒頭で『今日は都合上何時までに終わらせないといけない』などと参加者にクギを刺しましょう

    3.終わりの時間も大切にする国民性を広げよう!

     時間は有限です。失った時間を取り戻すことは不可能です。
     始まりの時間を大切にできるなら、終わりの時間も同じように大切にしましょう!
     自分で終わりの時間をコントロールできる状況下で、自分の意志で終わりの時間を延長してダラダラした場合は、自己責任だけで済むかもせしれませんが、会議とか人を集めた状態で終わりの時間を超えてダラダラした場合は、集まったみなさんを巻き込んでいるわけですから、迷惑だと私は考えています。
     だからといって、周りの人に終わりの時間も始まりの時間と同じように時間厳守を徹底するように求めたとして、人の考え方や意識は簡単には変わりません。時間とは別の話になりますが、勤めている会社の職場の上司と反りが合わない状態がずっと続いていたことがありまして、相手を何とか変えてやろうと試みましたが無駄に終わりました。
     しかし妻の助言もあり、自分の意識を変えてみると不思議と上司とある程度うまく立ち回ることができるようになりました。『他人は自分を映す鏡』と言われることがありますが、自分が変わることによって相手も変わるということですね。

     ちょっと話が逸れましたが、まずは自分の意識を変えることから始めましょう。この記事をみて終わりの時間も始まりの時間と同じように大切にしようと思っていただけた方は、自分から終わりの時間を大切にする行動を取るように心がけてみてください。
     自分の意識が変わることによって自分の取る行動が変わります。そうすることで周りへ必ずといってよいほど良い意味でも悪い意味でも影響を及ぼします。あなたが終わりの時間を大切にしようとする意識に気づいた周り方で、その考え方に賛同した方は同じように終わりの時間を大切にする意識や行動をとり始めます。
     そうやって、ちょっとずつでも終わりの時間を大切にする人々を増やしていきましょう!

     もう一つ心掛けたいなと思うのは、自分に子供がいる場合は、子供に時間についての教育をする際に終わりの時間の大切さも教えていきたいということです。十分にできているとは思っていませんが、ちょっとずつでも子供に大切さを教えていき、気づいてもらえたらなと考えています。三つ子の魂百までということわざがあるように、小さい頃の教育で教えることができれば、子供は大人と違って先入観があまりないので分かってもらいやすいはずです。大人は先入観や今まで培ってきた経験があるので、どうしてもすぐには『終わりの時間を重要視してこなかった人に終わりの時間を大切にする』という概念を分かってもらいにくいと思います。

     そうやって、幼少期に終わりの時間を大切にする意識を持った子供たちが大人になり、日本の未来を担ってくれたら、始まりの時間と同じように終わりの時間を大切にして、時間の使い方がうまい国民が日本国内に増えると思います。

     あなたも終わりの時間を大切にして、空いた時間を自分や大切な家族のために有効につかうことで『ここなご生活』をしてみてはいかがでしょうか!?

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